小学生の頃覚えていた百人一首を懐かしく思ふ
こんにちは。光と海と風を感じる海辺の小さな宿まる屋若大将、藤原啓太です。
まる屋があります香美町海側、予報通り雪が積もりました。今日も朝から降り続いています。現在JR山陰本線城崎温泉駅から鳥取県東浜駅までの区間で列車の運転取りやめが発生しています。14日以降の天気予報を見ると雪マークはでていないようなので、寒波の影響はこれで最後かと思います。…と、願いたいです(>_<)
おはようございます
雪、積もりました( ̄∇ ̄;)
現在JR山陰本線は浜坂駅から豊岡駅間の運行を見合わせています
今日も雪の一日になりそう
がんばりまーーーーす!!(*≧Δ≦)
#香美町 #まる屋 pic.twitter.com/mi4tqVGgxY— 藤原啓太 但馬の魅力を伝えたい若大将 (@keita_maruya) 2018年2月11日
現在のJRの運休区間は城崎温泉駅から東浜駅となっています。
先日、香美町広報誌と一緒に配られた冊子。表紙には豊岡市の小学校で行われたかるた大会の様子が紹介されていました。僕が小学生の頃には百人一首の競技大会が行われていました。百人一首の読み札には上(かみ)の句と下(しも)の句が書かれており、取り札には下の句のみが書かれています。読み札の句と同じ句の札を取るという歌かるたです。
当時、百句全ての上の句と下の句を覚えて、競技大会に参加してました。句の意味などはほとんど把握していませんでしたが、今でも大体は覚えています。
目次
百人一首の競技大会
百人一首といえば人気コミックが映画化され話題となった「競技かるた」が知られていますが、僕らが小学生の頃やっていたものは正式な「競技かるた」ではありませんでした。Youtubeで見ると「競技かるた」の試合の様子はすさまじいものがありますね^^;今思うと、当時の大会は初心者向けのかるた大会といった感じでした。もちろん、試合は真剣に参加していましたよ。
「散らし戦」と「源平戦」
当時行っていた競技大会では2種類の競技がありました。「散らし戦」と「源平戦」です。「散らし戦」は個人競技。複数人が円となるように座り、100枚の札を散りばめた状態で競技が行われます。完全な個人競技となりますので、その中でより多く取り札を取った者が勝者となります。
もう一つの「源平戦」はチーム競技。3人対3人で行います。100枚の取り札を50枚ずつ分け、それぞれの持ち札を自分の方向へ向けて3段に並べます。相手チームと向かい合わせに札を並べて競技スタート。自陣の持ち札が早く無くなった方が勝ちです。自陣の持ち札を自分たちが取れば競技はそのまま進行していきますが、相手陣にある札を取った場合、自陣の札を1枚相手陣の陣地に置くことができます。
「散らし戦」と「源平戦」、競技方法は違いますが、共に上の句と下の句を完全に覚えなければなりません。また、取り札の場所も記憶しなければ相手に先に取られていしまいます。小学生の子供たちにとっては頭のトレーニングになったんじゃないかなと思います。
推しの一句
百人一首には100句の和歌が詠まれています。その中でも特徴的なものがあり、競技大会が行われる中で争奪戦となる句がいくつかありました。
秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ
100句の和歌の内、1番目に詠まれるのがコチラです。「この1枚だけは取る!」と意気込んでいた人が多かったように思います。1番目の句なので覚えやすいしわかりやすいんですよね。この和歌もよく覚えていましたが僕個人的には、この和歌を推しの一句にしていました。
田子の浦に うち出(い)でてみれば 白妙(しろたへ)の 富士の高嶺(たかね)に雪は降りつつ
理由は、下の句が「ふじのたかねに」と「ふじ」で始まるから。自分の名字が「藤原」だから同じ「ふじ」の札が取りたかったんでしょう(笑)小学生らしい、どうでもいい理由でした^^
そして、間違いなく1番人気だったのがこちらの和歌です。
む
分かる人には1文字でわかってしまう一句。かるたの読み手の方が「む」と発した瞬間に取り札をみんなで取り合っていたのがこちらの和歌です。
村雨(むらさめ)の 露もまだひぬ 槇(まき)の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
100句ある内、「む」で始まる句がこれだけなのでその下の句が最も覚えやすくわかりやすい一句。わかりやすくて取りやすいから人気№1だったのでしょう。
最近にわかったこと
大江(おほえ)山 いく野の道の 遠(とほ)ければ まだふみもみず 天の橋立
この和歌で最近になってわかったことがあります。これを現代語訳すると次のようになるそうです。
大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見てはいません。
天橋立は京都府宮津市にあり日本三景にも選ばれている名勝地です。この句の中にある「いく野の道」。これを僕は朝来市生野町のことだと思い、百人一首の和歌に但馬の地名が入っていると嬉しく思っていました。しかし、正しくは丹波国天田郡(現在の京都府福知山市字生野)にある地名のことを指しています。
まぁ、よくよく考えると天橋立の南に位置する大江山と朝来市生野町とはめちゃくちゃ離れていて、わざわざ生野町を通って大江山越えて天橋立に行くなどあり得ないですね。
当時、必死になって覚えていた百人一首が今でも記憶の中にあるということは、苦労はありましたが楽しく覚えられたということだったのでしょう。今まで百人一首を覚えているからと言って役に立ったことはありませんが、子供の頃に昔の歌人の方々が詠まれている和歌に身近に触れられていたということは良かったんじゃないかなと思います。