柴山駅は2017年に開業70周年を迎えます

      2018/03/21

おはようございます。光と海と風を感じる海辺の小さな宿まる屋若大将、藤原啓太です。

先日、消防操法大会に向けての全体練習が行われました。僕が所属する香美町消防団香住師団柴山分団では、浦上、上計(あげ)、沖浦から団員を招集し、1チームを作ります。今回、僕は「指揮者」を務めさせて頂き、選手として出場いたします。

 

 

小型ポンプ操法大会は、小型ポンプを使用し、機械の操作、ホースの延長などの動作や消火活動を規定どおりに行い、速さや正確さを競う競技大会です。この日は、序盤の動作や号令のかけ方などを指導して頂きました。操法大会の開催日は、8月11日。本番までに動作をしっかりと覚えたいと思います。

 

《小さな無人駅”柴山駅”》

 

柴山地区には、JR山陰本線の柴山駅があります。券売機も改札機もない小さな無人駅で、1時間に1本くらいしか列車は通っていません。僕が中学生、高校生の頃は、列車に乗り通学していましたので、毎日のように利用していました。

 

 

そんな柴山駅が2017年6月26日で開業70周年を迎えます。今でこそ、無人駅となってしまいましたが、開業当時は駅員がおられ利用客も多く、大変賑わったそうです。物心付いた頃から無人駅だった柴山駅。その歴史を「柴山港漁業協同組合史」を元に、振り返ってみました。

 

《柴山駅開業までの長い道のり》

 

最初に柴山地区に駅を設置しようという動きがあったのが1908年(明治41年)。現在のJR山陰本線となる山陰東線開通の直前に、柴山地区の中心地、上計に駅を設置してほしいという陳情書を提出した記録が残っています。しかし結果、願いはかなわず駅ができることはなく、そのまま柴山地区を素通りする形で山陰東線は開通しました。

時代は流れ大正時代、柴山地区は漁業が盛んになりました。その頃、たまたま水害により香住から鳥取県岩美町までの鉄道が被害を受けたそうです。二ヶ月間というわずかな期間でしたが、臨時駅が上計に設けられました。この出来事が柴山地区の方々の駅に対する必要性を訴える決め手となり、昭和時代に入り、福知山運輸事務所、大阪鉄道局、鉄道省に三地区の代表役員が駅設置の陳情をしたそうです。

しかしその頃は、戦時中の厳しい時代、すぐに話が進むことはありませんでした。終戦を迎えた昭和20年8月、その直後の食料不足を解消するために大阪鉄道局はある提案をしたのです。

 

「駅設置に極めて熱心な柴山地区に駅を設置し、柴山港に水揚げされる豊富な魚介を鉄道を

使って円滑に出荷し、食糧難の緩和に貢献させてはどうか」

 

この協議事項は満場一致で決定し、柴山地区に駅設置の工事が始まりました。

 

《柴山駅始まりの場所》

 

人が乗降する駅を最初から作るとなると、認可や手続き等で設置が大幅に遅れるという話を受け、当初の目的である鮮魚出荷をいち早く達成するために、まずは隣の佐津駅の側線ということで、貨物列車を停車し、貨車の連結開放ができる施設の設置工事が始まりました。その場所は、佐津駅からトンネルを抜け、現在の柴山駅にさしかかる手前のこの場所でした。

 

 

この辺りの場所は、今となっては人が来ることはほとんどない場所となっています。柴山駅はここから始まりました。この場所で、貨車の連結の他、特別に列車に乗降できる仮乗降所も設置され、柴山地区の方々は多大なる恩恵を受けたそうです。停車する列車は少なかったのですが、その便利さは計り知れなかったと記録に残されていました。

 

《正式な駅となるために》

 

この段階では、柴山地区の方が乗降できるようにはなっていましたが、正式な駅とは、まだ言えない状態でした。1947年(昭和22年)5月に鉄道局運転部より、正式に駅となるには、最低限度の保安設備が必要であると意見が出ました。どんな小さな駅でも信号機が必要である。駅を設置して欲しいと陳情したのは、柴山地区としての意見ですので必要あらば地元負担で取り付けようと考えられていました。

しかし、戦後直後の物資不足ということもあり、信号機そのものがなかったのです。公に作られたものも、闇市場で取り引きされているものも、現物入手が不可能とされました。これに対し柴山の方々は、どうしても柴山に駅を設置して欲しい一心で、現物が入手できれば、いつでも購入、設置する意思を鉄道局に伝えました。柴山の方々の熱い想いと、柴山港側線の開業以来、水産物の出荷量が飛躍的に上がっていたため、特別に柴山駅開業を許可されたそうです。

そして、1947年(昭和22年)6月26日、山陰本線佐津・香住間に柴山駅が開業されました。当時の大阪鉄道局局長であった方が、戦後の混乱期に地元住民が一致団結し駅の実現に協力、食糧難緩和に貢献したことを大変喜び、開業式後、「柴山駅」と書かれた駅名板を送られたそうです。修繕はされていますが、その駅名板は、現在も柴山駅入り口に掲げられています。

 

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昭和40年代に入り、柴山駅構内の列車行き違い複線化工事が実施されました。旅客列車の効率化のための工事でした。柴山駅は、鮮魚出荷の駅から観光の駅へと時代と共に変化していったのです。現在も複線化の名残は残っていますが、鉄道利用者の減少などにより列車の運行状況が変わり、柴山駅海側に残るホーム、線路はもう使われなくなってしまいました。

 

《六月二十六日と書かれた開業記念碑》

 

「岸辺福雄」という日本童話界育ての親、自由教育の先駆者とされる方が、少年期を柴山で過ごされたという縁があり、柴山駅開業に大いに力を注がれたと記録されています。その方が開業式の中でこうおっしゃられたそうです。

 

年月が経つとこの駅が開業された日を皆、忘れてしまう。

”六月二十六日”とだけ記して駅構内に石を置いてみてはどうか。

開業してから10年が経ち、開業10周年記念式の開催を機に記念碑建立の話がまとまり、岸辺氏ご本人に文字を書いて頂こうと依頼をされました。その時に「昭和二十二年と開業年を書いた方がいいのではないか」と提案されたのですが、岸辺氏はこう答えられたのです。

 

昭和二十二年六月二十六日は過去の一日に過ぎない。しかし、六月二十六日はこの先

何度も巡り来る。

「これは何か?」と思った者が調べればよい。

やがて50年、100年と経った後、六月二十六日が生きてくる。

岸部氏の言うとおり、僕は「これは何だろう?」と思い、組合史を調べてみて、柴山駅の歴史を知ることとなりました。開業記念碑は、現在も柴山駅ホーム左手、香住・鳥取方面側に進むと、その姿を見ることができます。

 

 

 

 

《柴山駅のことを》

 

柴山駅開業の話は、文頭でも紹介したように「柴山港漁業協同組合史」を元に書かせて頂きました。ただ、これが柴山駅だということをお伝えしたかった。柴山という小さな町を支えた駅だということをお伝えしたかったのです。

 

 

この先、90年、100年となっても柴山駅がありますように。

”六月ニ十六日”を迎えることができますように。

 

 

心から願います。

 

 

 

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