コウノトリ翔る町は、この場所から始まりました
こんにちは。光と海と風を感じる海辺の小さな宿まる屋若大将、藤原啓太です。
11月6日、いよいよ日本海の各漁港で松葉がにの水揚げが始まりました。まる屋からすぐ近くの柴山漁港でも午後1時より初競りが行われ、仲買人や漁業関係者、初日ということもあり、メディアの取材や観光客の方も多く見られました。柴山漁港で水揚げされた松葉がには柴山がにと呼ばれ、ピンク色のタグが付けられます。
初日は一般の方も大勢いらっしゃいましたが、昨日、今日と行われた競りは仲買人や漁業関係者ばかり。普段の柴山漁港の様子に戻りました。海上の様子も穏やかなようで水揚げも順調、競り値も落ち着いてきました。松葉がに漁は翌年3月末まで(メスのセコガニは12月末まで)水揚げが続きます。安全に操業ができることを願います。
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コウノトリ翔る町
但馬地方にあります豊岡市。現在は城崎温泉や出石城下町を有する、但馬の中心都市です。この町は、野生のコウノトリが生息していた日本で最後の場所としても知られています。コウノトリが特別天然記念物に指定されたのが1956年。1963年に豊岡市周辺に生息していたコウノトリは、わずか14羽だけになっていたそうです。
しかし現在、コウノトリは野生復帰し、コウノトリの郷公園やその周辺には多くのコウノトリを見られるようになりました。コウノトリの郷公園に行くと、人工飼育の様子やコウノトリの生態などを知ることができます。
そこで僕はある場所のことを知りました。その場所は、豊岡市がコウノトリ翔る町となる原点とも言える大切な場所でした。
コウノトリ保護増殖センター
豊岡市コウノトリの郷公園から車で10分ほど離れた場所にありますのが、コウノトリ保護増殖センターです。普段は一般公開されていない場所で、コウノトリの人工飼育に関してとても重要な役割りを担っている施設です。
1年に1日だけ、この非公開エリアを特別にガイドして頂ける日があります。今年は11月3日に特別ガイドが行われましたので、参加してきました。
#豊岡市 コウノトリ保護増殖センターに来ています
普段は、入ることができないエリアに特別に案内して頂きます pic.twitter.com/unUmeKKZvV— 藤原啓太 但馬の魅力を伝えたい若大将 (@keita_maruya) 2017年11月3日
最初に飼育員の方が手作りされた紙芝居で、コウノトリのことや保護増殖センターのことを分かりやすく紹介して頂きました。こちらの施設が建設されたのが1965年、つがいのコウノトリを捕獲し、飼育を試みるも失敗の連続。卵を産むが、雛がかえることはありませんでした。やがて、日本の野生のコウノトリは絶滅。コウノトリの飼育を続けるも次第に数は減っていったそうです。コウノトリを最初に捕獲、保護してから20年の歳月が流れていました。
その後、海外から6羽のコウノトリが贈られ、初めてのヒナが誕生しました。子育てに前例がないので手探りでの飼育だったそうです。それからは1羽、また1羽と徐々にコウノトリの数は増えていきました。
11月1日現在、コウノトリの郷公園、コウノトリ保護増殖センターを含む施設で飼育されているコウノトリの数は、96羽。野外に生息する数は100羽を達成しました。
コウノトリ保護繁殖の原点
1965年に施設が建設されたときにコウノトリを飼育する場所が作られました。その場所こそが、僕が見てみたいと思っていた場所です。
施設奥にあります第一フライングケージ、通称「約束のケージ」です。ここは人とコウノトリが、ある約束を誓った場所です。
「必ず野生に帰す」
最初にコウノトリを捕獲、保護した際、この約束を守ることを心に刻み、人工飼育、保護繁殖活動が始まりました。コウノトリ翔る町豊岡市の一番最初の始まりの場所、それがこの「約束のケージ」です。
コウノトリ保護増殖センター非公開エリア奥にありますのが
約束のケージ
コウノトリ保護繁殖の長い長い道のりはココから始まったそうです pic.twitter.com/WYwLWiX23Y— 藤原啓太 但馬の魅力を伝えたい若大将 (@keita_maruya) 2017年11月3日
コウノトリの野生復帰
コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属コウノトリ。コウノトリは、生物学上でこのように分類されるそうです。一度絶滅した日本のコウノトリを保護繁殖し、野生復帰させること。それは、学術的に見ると、一種の生物の個体数が増えているというだけかもしれません。
しかし、豊岡市、但馬にとってコウノトリの野生復帰は、生き物としての個体数が増えるということだけではありませんでした。
コウノトリを保護繁殖させるため、様々な取り組みが行われました。コウノトリのエサとなる生き物を増やしていこう、農薬や化学肥料で衰弱していた土地を少しずつ昔の姿に戻していこうと取り組まれたのが「コウノトリ育む農法」での米作りです。お米を作る際、生き物も一緒に育てること、それがコウノトリが住める環境作りにつながるとし、進められていきました。今では、ご飯となる飯米の他、日本酒となる酒米も作られるようになり、多くの地域で広がりを見せています。
コウノトリ保護増殖センターの飼育員の方に話を伺うと、宝塚市出身の方がおられました。コウノトリの保護繁殖の仕事に就きたく、コチラへ来られたそうです。生き物を相手にする仕事は大変だと思いますが、但馬外からこのようにコウノトリに関わる仕事に就きたいという方が来てくれることは本当に有り難いことです。
今や豊岡市には、いたる所にコウノトリがデザインされています。コウノトリは町の象徴、但馬の象徴となっています。
生物学上では一種の生き物。しかし、その一種のコウノトリを生かすために但馬の自然が生まれ変わり、コウノトリを取り巻く人が集い、コウノトリを象徴とする町が活気づきつつある。
ただ、一種の生き物が増えるというだけではとどまらない素晴らしい環境・人・町作りへと向かっているように思います。それは飼育し始めた当初、何も進展がない状況を、暗闇を手探りで進むような状況を耐え抜き、人工飼育、保護繁殖を成功させた方々がおられてこそ、今の姿があると思うのです。
「必ず野生に帰す」
この約束を果たした今、最終的ゴールとして掲げられた目標があります。それは、
種が生存するための個体数を維持すること
持続可能な環境、コウノトリも人も住みやすい環境を継続すること
コウノトリが絶滅危惧種から普通種になること
いつか必ず、この約束が果たせる日が来ることを願います。