日本の養蚕業のことを調べてみると但馬と深く関わっていました
こんにちは。光と海と風を感じる海辺の小さな宿まる屋若大将、藤原啓太です。
先月、ヤフーニュースでこんな記事を見かけました。皇后さま、養蚕作業の「給桑」
(元記事はコチラです)
きゅ、きゅうくわ??^^;いや、給桑(きゅうそう)と読むそうです。明治時代より紅葉山御養蚕所にて代々、宮中での養蚕が続けられているという記事でした。養蚕とは、蚕が作る繭から生糸(絹)を生み出す産業。古くから日本の産業として発展してきた養蚕を宮中で今も続けられているのは、この産業が日本の発展には欠かせないものだったからなのでしょうか。
兵庫県北部の但馬地方にも密接に関わっている産業、養蚕。四方を山々に囲まれた養父市大屋町では昔々、養蚕が盛んに行われていました。
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養蚕のことについて知らないことだらけだった
養蚕という産業は、まる屋がある周辺地域でも以前は行われていたそうです。農業が主体だった昔の生活にとって養蚕は現金収入が得られる最適な産業だったと言われていました。同じ但馬地方ですが、香住からは離れている地域の養父市大屋町で養蚕が大きな産業として発展していたことは、なんとなくは知っていましたが、あまり深くは知りませんでした。
その産業を宮中で代々続けられているということを知り、ちょっと興味が沸いてきました。蚕(かいこ)=絹という認識はありましたが調べてみると知らないことだらけだったのです。
養蚕に無くてはならないのが蚕です。まずはその始まり。なんと5000年以上の歴史があるそうです。中国から始まった養蚕は中近東、ヨーロッパへと広がり、その交易ルートがシルクロード(絹の道)といわれ、東西文化の交流に大きな役割りを果たしました。歴史の授業で習ったっけかな(笑)
日本の養蚕については、卑弥呼の時代から絹織物を中国に贈っていたらしく、稲作と一緒に中国から伝わったとされています。その歴史の深さにまずは驚きました。
蚕は唯一の生物
蚕はカイコガの幼虫で、自然界には存在しないそうです。驚きですよね。蚕は人が唯一家畜化した昆虫なんだとか。人が飼育しないと生きていけない生物ということです。家畜化されていても自然界でも生きている牛や豚などとは違い、完全に野生への回帰能力を失ってしまった生物だと言われています。自然界に放したところで、すぐに捕食され自身の力で子孫を残すことができないらしいのです。
長い長い長い年月をかけて、絹の原料である繭を作るため、餌となる桑の葉を食べ、良質な繭を作るように改良に改良を重ねて生まれた蚕。但馬で産業として盛んになったのは江戸時代の後期からだったと記録が残っています。
養蚕の神様 上垣守国氏
18世紀中ごろに丹後地方でちりめん産業(絹織物)が隆盛し、その影響で養蚕が盛んに行われた養父郡蔵垣村(現在の養父市大屋町)。蔵垣村出身の上垣守国(うえがきもりくに)という人物が養蚕業の発展に尽力されたと伝えられています。
1802年、上垣氏48歳の時に養蚕の技術書「養蚕秘録」を出版しました。こと細かく研究された養蚕技術を、文字だけで記すのではなく当時字が読めなかった者が多くいたため、図を見るだけで養蚕が学べるようにと挿図を多数入れて出版されたそうです。こちらの書は高く評価され80年以上にわたって出版され続けました。上垣氏が亡くなられた後、長崎県の出島の医師シーボルトによって「養蚕秘録」はオランダへと持ち帰られ、フランス語やイタリア語に翻訳されました。ヨーロッパでの養蚕業にも多大な影響を与えたそうです。
このことは日本の技術輸出第一号と言われています。
養蚕業を伝えるために
養父市大屋町では現在、養蚕を生業とされている方は誰もいません。養蚕農家は途絶えてしまったそうです。養蚕自体は途絶えてしまいましたが、この地にこのような歴史があったこと、日本の礎を築いた養蚕を伝えることは途絶えてはいけないと奮闘される方々が大屋町にはいらっしゃいます。
先日お会いした養父市出身の地域起こし協力隊の方もその1人です。産業としてではなく、その歴史を伝えるために養蚕を行っています。その様子を見せて頂きました。
大屋町は養蚕業を行っていた住居が多数残る地域です。中でも大屋町大杉地区にはその住居が現在も立ち並び、重要伝統的建造物保存地区に指定されています。
特別な地区に指定されているとはいえ、この地域にとってはごく普通の景色。昔もそうであったようにのどかな自然に包まれた風景が広がっています。近くに木彫り展示館や養蚕農家の建物を改修したカフェがありましたが、この日は月曜日。どちらもお休みでした^^;また伺います!
養蚕については養父市大屋町だけでなく、日本全国にその産地はあります。現在でも産業として続けられている地域も多数残っています。一時は世界一の輸出国となった日本の養蚕業。宮中で長きに渡り続けられている養蚕業について調べてみると、但馬との深い関わりがあったことがわかりました。養蚕業があったからこそ今日の日本があるということ、伝えていきたいですね。