子供たちの未来のために 但馬海岸道路誕生物語
こんにちは。光と海と風を感じる海辺の小さな宿まる屋若大将藤原啓太です。
城崎温泉からまる屋があります柴山へ向かうには3つのルートがあります。1つは円山川に沿って南下し、豊岡側から国道178号線を通り向かう道。そして、城崎温泉から鋳師戻(いもじもどし)峠を通り竹野町を通過する道と城崎マリンワールドがある豊岡市瀬戸地区から海岸沿いを通り竹野町を通過する道です。時間にするとどの道も車で40分前後の道のりです。
城崎温泉から海岸沿いを走る道は、1995年(平成7年)までは有料道路として運用されており、現在の香美町と豊岡市竹野町の境に料金所が設置されていました。
現在は無料開放され普通に通行できる瀬戸地区~竹野町、そして竹野町~香美町佐津地区の海岸道路。その道路が完成するまでには多くの方々の大変な苦労がありました。
目次
陸の孤島 宇日・田久日
平家の落人伝説が伝わる豊岡市竹野町宇日(うひ)・田久日(たくひ)地区。その昔、平家の残党がこの地に流れ着いたと伝えられています。
この地区へは船で行くか、険しい山道を行くしかない陸の孤島でした。山を切り開いた耕地で作物を作り、磯見漁などを行い生計を立てていた小さな村です。ここに住む子供たちは小学4年生になると地区にある分校を出て、竹野小学校へ通いました。危険な山道を1時間半も歩き、通学していたそうです。
その山道は急斜面にあり、幅1メートル足らずの曲がりくねった道でした。「犬しか通らない道」、そう皮肉を込めて当時の方々はこの道を「犬(けん)道」と呼んでいたそうです。
北風に吹かれながら細い山道を歩く子供たちの姿を不憫に思った住民たちは、時代が車社会へと変わりつつある高度経済成長期、村の存続のためにも「道路」が必要ではないか、ということを地域一丸となって町へ呼びかけました。
住民の熱い願いは当時の竹野町長を動かし、やがて県へと道路建設の要望が伝わりました。そして、1957年(昭和32年)ついに海岸道路建設工事が着工しました。しかし、あまりに危険な場所での工事であったことと資金不足により海岸道路建設工事は程なくして中断されてしまいました。
途方に暮れた関係者のもとに、ある新聞記事の話が耳に入りました。
豊岡市と旧久美浜町の県境、三原峠の改良工事に自衛隊が尽力した
県知事をはじめとする関係者らは「この方法しかない」と考え、1959年(昭和34年)、県知事より陸上自衛隊伊丹千僧部隊に道路建設の要請を行いました。住民の熱意、関係者らの熱意は自衛隊幹部をも動かし、宇日・田久日を含む瀬戸地区から竹野町青井地区までの区間で自衛隊による道路建設工事が着工されることとなりました。
命がけの工事
城崎温泉からの海岸線を通られたことがある方はご存知だと思いますが、道路があるのは正に断崖絶壁。そんな場所に道を作るわけですから、本当に命がけの工事です。派遣された隊員や工事に使用する重機は陸路からは入ることはできないので船により海から現場へと向かいました。
船から上陸した自衛隊隊員。これから過酷な作業が待ち受ける彼らを更に驚かせたものがありました。地域住民の熱烈な歓迎です。まるで救世主が現れたかのように迎えてくれたそうです。危険な場所での作業はもちろん自衛隊の方がされていましたが、それ以外にできることは村民総出で協力されていました。
「過酷な作業の中で住民の方とのふれあいが何より心安らぐ瞬間でした。この方たちのために何としても道路を作りたいという気持ちが徐々に高まりました。」隊員の方がそんな言葉を残されています。
自衛隊の方々に課せられた任務は道路の基礎を作ること。舗装作業などは県が行うことになっていました。急斜面の岩盤を爆破し、岩肌を削り、土砂を運び出す作業。高所での作業の危険さと共に、夏の暑さや冬の寒さなど厳しい環境の中、道路工事は進みました。
但馬海岸道路
過酷な現場での作業の末、1960年(昭和35年)、関係者らを乗せたジープが初めて但馬海岸道路を走りました。地域の住民、工事に関わった自衛隊の方々は大いに喜ばれたそうです。道路工事で陣頭指揮をとられていた当時の自衛隊隊長がその際に、ある句を詠まれました。
「北風や 心志(し)て吹け 子らの為」
過酷な現場での作業にあたった自衛隊員の気持ちを代弁しつつ、村の未来を担う子供たちに向けられたものです。「はぐくみの碑」と名付けられ、現在は竹野浜海水浴場にある北前館近くに句碑が建てられています。
1962年(昭和37年)には第三期工事が終了し、竹野への道が開通しました。その後、県による舗装工事が行われ、1965年(昭和40年)に有料道路として運用開始。更に竹野町から香美町佐津地区までの海岸道路も整備が行われ、1972年(昭和47年)第二但馬海岸道路が開通しました。豊岡市瀬戸地区から竹野町青井地区までの道路整備には、そのほとんどを自衛隊が工事を行い、第二但馬海岸道路は一部の区間で自衛隊の協力があり完成に至りました。
現在は両区間とも無料開放されており、地元の方はもちろん観光で来られる方々も利用されるなくてはならない道路となりました。
海岸沿いを走る道路は、急な坂道や曲がりくねったカーブが多くこれから雪が降る季節には通りにくいかもしれません。利用される車も正直あまり多くはありません。ですが、日本海の景色を本当に目の前に感じられる素晴らしい道路です。是非、ゆっくりと走って頂き、断崖絶壁に作られた道路ならではの景色を楽しんで頂きたいと思います。その際に、自衛隊による難工事の末に完成され、沢山の方々の想いが詰まった道路であることを感じて頂ければ幸いです。